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スポーツ観戦から その2 [偉そうな一言]

中国と日本の女子の卓球を見ました。日本は決して弱くないのですが、負けてしまいました。卓球は他のスポーツ同様、本当に巧みなテクニックが必要で、その点日本の若手は素晴らしいものがあります。しかし勝てなかった中国戦を見ていて、文化の違いによる方向性があるのではないかと感じました。

日本の剣術は、侍の試合のように、燕返しなどの秘術、秘剣により一発で勝敗が決まります。もちろん居合抜きなどもそれを象徴しているものでしょう。中国のカンフーは、一撃必殺よりも組手の流れから徐々に優勢となり、最後にとどめを刺す感じです。
卓球も、日本はこの技のテクニックをあげ、打ち合いも一つの勝ちパターンを持っていたりします。必殺技で点を取る方向です。いくつかある必殺技をいかに出すかがポイントになります。中国も各選手得意のサービスやショットがあったりしますが、どちらかというと流れの中から優位に持っていく試合運びです。つまり、どういう流れで戦うかの方に注意しているようで、予想通りの展開なら怖いものなしです。相手の得意技で点を取られても、どういうパータンで出すかがわかれば試合はコントロールできます。ですから、点数は近くてもゲームを支配している中国選手には焦りはないようです。

ここから音楽の話ですが、日本人演奏家は個々の部分をどういう風に演奏するか、に非常にこだわり、たくみに演奏する人が多いです。ところが、外国人は形式や前後関係によく注意していますし、アンサンブルなどで行われる対話などは、最初から最後までずっとそれをやり続けたりします。極端に言えば、個々の要素に注意するのが日本人で、要素の関係性に注意するのが外国人という感じです。たとえばタクトです。日本人は最初に何拍子か、に注意するだけですが、外国人は常にそのタクトを感じていて、つまり何拍子かを常に保っているのです。

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スポーツ観戦から [偉そうな一言]

女子バレーボール見ていて、昔の日本ー韓国戦のことを思い出しました。当時は韓国に日本は勝てませんでしたが、テレビで見ているとそれは当然だと思えるところがありました。韓国はピンチを見事にチャンスに変えるのです。レシーブがうまくいかなかった時、トスがむずかしくなり、日本だと安全策をとりますが、韓国はそういうときに、例えばクイックを使うのです。日本はまさかという感じで点を取られます。日本がやったと思った時に韓国は逆に点を取っているのでした。ピンチの時こそ、ありえないという意表をつくチャンスであり、それを失敗してもいい、ということではなく、どちらかというと、むしろピンチをチャンスに変える練習をして、積極的に戦略に取り込んでいる、と思えるほどでした。
今回のバレーボールを見ていても同じことを感じました。ピンチになると日本は安全なプレーをします。だから相手は何をしてくるかわかるので、万全に迎え撃つことができ、ブロックで点を取られます。やはり、ピンチの時にこそ、安全策を取るだけでなく、無理をしてチャンスに変えることができるのではないかと思いました。

サッカーもそうですが、テレビは客観的に全体が見えるので、結構いろいろ気がつきますが、選手側からすると、それをわかっていてやっているということになるのでしょう。余計なお世話になるのですが、しかし、見ている側は、やはり面白い試合というのは、見ているグァの予想を覆すことをしたり、この先どうなるかわからない、ということがわくわくさせます。見なくても大体内容は想像つくよ、という試合はやはりつまらないものです。

演奏でも同じようなことがあります。最初の5分間聞いただけで、あとどんな演奏になるかわかってしまうというもの。もちろん期待できる演奏ではないのです。それは下手なわけではなく、上手い場合ほどわかりやすかったりします。下手な人はどんな演奏になるか予想できないところがあるのに、上手いとブレがないからそうなるのです。そして、それが期待感にならず、わかりきったものになってしまうのです。演奏する側がパターン思考で単に楽譜通りやっているだけ、という場合もありますし、自分のうまさを見せつけるだけの演奏もそうです。こういうことは理性的判断ができるので、それしかないとあとは予想できるものになります。音楽は理性ではなく、広い意味の感情に訴えるものでなくなてはなりません。
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