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上手いからこそ問題がある [偉そうな一言]

音楽をテーマにしたアニメの話書きましたが、日本のアニメには、見ない方が良いものもありますが、本当に良いアニメというものがあります。日本の文化なのです。最近では、ヴィンランド・サガや王様ランキングは素晴らしいです。個人的には、単に好奇心を煽るだけのアニメは、まったく見ません。飽きます。

さて、本題はここからです。音楽関係のアニメだけでなく、音楽番組なども見て、日本の音楽は危機的状況にある、という感じがします。上手であれば良い、という風潮があるからです。それもポップス、クラシックとも同じで、ミュージカルや演歌にも影響はあるでしょう。大きな原因はテレビです。テレビが音楽を破壊することを毎日やっているからです。

上手い歌手、上手い演奏、という言葉が意味するのはテクニックです。昔はテクニック以外の部分の評価が主でしたが、テクニックばかり取り上げられるので、上手いという言葉の意味が変わってきてしまいました。このことが上手い以外に音楽には何があるかをh知らない人々が増えたことを意味しています。すでに日本の音楽は堕落してしまった、と言えるでしょう。手遅れでないことを祈るしかありません。

音楽はいたるところにあります、いや、ありました。お母さんが歌う子守唄で子供は音楽を受け取ります。単純な言葉では音楽を聴いています、と言います。今、テレビやインターネットで音楽を聞けますし、街を歩いたり、電車を利用するだけでも音楽を聴ける、と言えます。しかし、これは音楽を知る最初のきっかけとしては全く好ましくありません。親が子供のために歌うこと、そこに音楽はしっかりあり、子供はそこから音楽をきちんと受け取ります。極端に言えば、テレビから流れてくる音楽は、子供には音楽には聞こえないのです。

学校の音楽の時間に歌を歌います。音楽のこの時間はとても楽しく、ここに音楽があります。カラオケで歌う、ここにも音楽はありますが、子供はそこに違いがあるのを感じます。もちろん、クラシック音楽をやってきた人の何割かは、カラオケは嫌いだったりするものです。なぜなら、伴奏者と歌手は相互に聴き合って演奏するものです。一方通行は音楽がないわけではありませんが、欠けたものがある音楽です。

音楽にはテクニックは必要ないということがわかります。ただし、人に聞かせるとなると、やはり聞く人が楽しめる程度のテクニックは必要です。テクニックは演奏する条件であって、それが音楽そのものなのではありません。ただし、もちろんテクニックがあればあるほど、音楽の持つ全ての価値を表現することが可能になります。だから、クラシックでもポップスでも練習するのです。だから、表現になっていなければ音楽の価値はかなり小さいものです。つまり、コンピュータが再生すれば、音楽になるわけではありません。音楽は人間が行う行為であり、どんな機械を使っても、そこに音楽を伝える人間がいなければなりません。

バイオリンはとても難しい楽器です。だから、それなりに弾けるようになるには、努力しなければなりません。しかし、弾けるようになってもそれはテクニックだけであり、実際に音楽を奏でなければ、そこには音楽はないのです。同じことを繰り返しますが、コンピュータがパガニーニを再生したとしてもそれは音楽ではありません。この違いを知る人間だけが音楽を奏出るべきとまでは言いませんが、これには違いがある、ということは、単なる知識としても知っているべきです。

例の「青のオーケストラ」の練習風景には音楽がありません。高校生オケであっても、人前で演奏するなら、音楽を奏でる練習をしなければなりません。たとえば、ここは焦った感じがするから、そうではなく、活気のある感じにしましょう、と言って、繰り返し練習をすればいいのです。ところで、オケではパートの音を聞いて弾く、というのは、パートの音に溶け込むように弾くということが大事です。これを知る知らないで響きが全く異なります。知らない人の方が多いです。

日本人のクラシック演奏家は本当に上手な方が多いです。しかし、日本では上手さばかり取り上げられるので、一つは現状で満足し、もっと上があるのにそこも目指さない、つまり、そのときから徐々に下手になってしまうのです。また、自分の上手さを示す演奏ばかりやる。聞こえてくるのは音楽ではなく、上手だという理性的判断しかありません。そうなるとまた聴きたいとは思いません。上手さは一度聞けばわかるからです。

現代は、特に日本では、音楽とは何か、それを追求するのが真の音楽家と言えるでしょう。
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