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特別な演奏 [偉そうな一言]

音楽は人により、その受け取り方は様々です。演奏家がこういう表現をしようと思っていても、それが聞き手に伝わるかどうかは完全に聞き手の自由です。肥えた耳の人が素晴らしい演奏だと思っても、なんか眠くなったという人もいるでしょうし、耳の肥えた人が退屈な演奏だと思っても、感動したと言う人もいます。良い演奏というのは、その判断は理性によるので、本来音楽が伝える部分を理性的に処理する必要があり、同じような感銘を受けたとしても、どういう理性的判断をするかは全く個人によって異なり、さらにそれを言葉にするならば全く違う説明になるものですが、それとは別に、音楽によって感じるもの自体が人により異なるものです。ここでは理性的判断では無く、感情領域において伝わってくるものの話をします。

先日、日本人ピアニストの録音を聞きました。最初のところでリズムがかなり不正確でした。これは日本人にはよくあるタクトの不正確さが主な原因で、リズムがはまっていないのです。それでもあまり気にせず、ながらで聞くことにしたのですが、どんどん音楽が心の中に入り込んできて、いわゆる私の心の琴線に触れたのでした。そこでながら視聴をやめ、聞くことに集中しました。このように、否応無く心に直接届いてしまう、これが私にとっての特別な演奏です。

フロイトは心には意識とは別のもっと広大な領域の無意識、潜在意識の領域があると言いましたが、この潜在意識の領域も分かれており、理性に対応する部分だけでなく、感情に対応する部分もあります。いわばこれは心の琴線という言葉が一番近いと思います。音楽は本当に直接潜在意識に到達することがあり、これは音楽に限りませんが、それにヨット心が大きく動かされることがあります。

世の中には素晴らしい演奏はたくさんあり、そういう演奏を繰り返すことができる人が素晴らしい演奏家と呼ばれるのですが、そういう素晴らしい演奏が全て特別な演奏というわけではありません。しかし、一度このような特別な演奏を体験してしまうと、その演奏家に対する注目度は全く異なるものとなります。そして、前述のようにタクトが不正確、リズムがはまっていないなどの明らかな欠点があっても、それはなんらその特別な演奏には関係ありません。タクトの巧みさやリズムのハマり方は大事ですが、それよりもこの特別さこそが、人間にとっては大事な体験になるものと言えるのです。そして、誰もがそういうものを一度は体験しているでしょう。また、演奏家は有名でなくても良いし、そんなに上手でなくても、そういう特別な演奏はあるのです。

午前中に何気に弾いているピアニスト、それに合わせていつものように体を動かしていた友人達の一人が、急に後ろの方に行き、座り込みました。どうしたのかなとみんな振り返ると、涙を流し、それを抑えきれなくなったのでした。そんなにクラシック音楽が好きなわけでもないのに、自分でもなぜこうなったのか、わらなかったのでした。

モーツァルトが演奏会を開くと大盛況は間違いなかったと言われています。パガニーニも人々を熱狂させました。多くの人はパガニーニの素晴らしさはそのテクニックだと思っていると思いますが、そうではないでしょう。テクニックが素晴らしいのではなく、演奏そのものが特別なものだったのです。モーツァルトのその特別な演奏を聴いたら、もう虜になってしまい、聞かずにはいられないのです。

しかし、人々に特別な演奏と感じてもらえることを目的に演奏してはなりません。なぜならそれは聞く人により異なるので、目的になりえません。それこそ音楽以外のものを持ち込んでも、聞き手は大満足したりするものです。演奏家が目的とするのは、音楽的価値を表現することだけです。モーツァルトやパガニーニの演奏は、もはや誰も知りませんが、そういう演奏は存在するものなのです。


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