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楽譜通り弾くことはできない [偉そうな一言]

最近またTVで辻井君のCMが流れていたので、一言。
楽譜通り弾くのはつまらない、という言葉ですが、最初に聞いた時に、楽譜通りに弾くってどういう意味だ、と考えてしまいました。もともとバイオリンは一音を弾くだけでもいろんな弾き方があります。だからどういう音で弾くかはかなり選択肢が多いのです。ピアノとは違うのですが、問題はここではないでしょう。音楽は本来頭の中にあります。作曲家がそうですし、演奏者もそうです。それを演奏者は現実の音にし、作曲家はそれを楽譜として書き残します。音楽は楽譜の向こう側にあります。楽譜そのものは音楽と関係していますが、それが音楽ではありません。楽譜から音楽を頭の中で組み立てます。そしてできた音楽は楽譜とは異なる部分が多く、楽譜通りに弾くなんてことは不可能です。これについてはピアノという楽器がそういうことが起きやすいということがあるかもしれません。小説通りの映像はつまらない、ということがまったく意味不明であるのと同じだと言えます。

ピアニストの上手下手を判断するのはバイオリンより簡単です。つまり、ピアノは叩けば初心者でもそこそこ音が出ますが、それで音を並べると、本当に退屈でつまらないものになります。ところがピアニストと呼べる人が演奏するときちんと音楽が聞こえてきて、音が聞こえてくるという感覚ではありません。それはピアノが、いわゆる上手か下手かではなく、音楽を演奏しているかどうかの違いです。ピアノに比べると、バイオリンは音一つでもいろいろな音を出せるので、その音で誤魔化しやすいと言えます。もちろん、ピアノも和音など聞けば大体はわかりますが、バイオリンは音一つで練習量もわかったりするので、努力していることが見えてきて、そのために音楽を聞く前に上手と思ってしまうのです。

最近、あれっと思う、残念なことは、テクニックだけで上手いと言われることが増えていることです。テクニックが何かはかなりグレーな部分が多く、意見がいろいろ分かれるところですが、一番単純に言えば、細かい音を正確に弾ける、綺麗な音を出せる、つまりは、バイオリンで言えば、右手と左手の器用さがテクニックです。個人的にはさらにもっと専門的なテクニックというものがあり、パターン化できる演奏法は全てAIなどで置き換えることができるので、テクニックと言えるのです。ではテクニック以外は何があるのかというと、それが音楽の演奏と言えるところです。コンピュータが楽譜を自動演奏するのと人間の演奏の今般的な違いです。テクニックがあれば十分だとするなら、世界で一番上手なのはコンピュータ、つまりAIとなってしまいます。

テクニックがあることで満足するならば、コンピュータによる自動演奏とどこが違うかをよく考える必要があります。たとえば、私はここでルバートをしたりしてテンポを微妙に変える、しかしいつも同じようにそれを演奏したいなら、それはパターン化でき、データ化してコンピュータに真似をすることができます。それもテクニックなのです。人の演奏はその時によって必ず変わり、さらに共演者も毎回異なるので、それで猿翁全体も毎回変わります。どうして変わるのか、それは色々な条件が作用しています。そのようにして変わることは決して悪いことではありません。音楽を演奏するならば、因果関係に従って変化するものです。ここに音楽の秘密があります。頭の中のイメージは同じものなのですが、実際の演奏は微妙に変化し、ゆらぐのです。この因果関係に基づく必然のゆらぎがあるかどうかが一つの価値になります。それは、心が演奏を作るからです。楽譜やテクニックは必要ですが、決して音楽の本質ではありません。

富士山を見ると同じ時は一度もありません。毎回毎回異なります。しかし、それが、見る人に美しさとなるのです。アフリカのあるところに住む少女は特別な場所というものを持っていました。そこへ行くと美しい夕日が見られます。毎日見てもそれは美しいのです。音楽も同じで演奏するときには、たとえ毎回同じ曲、同じメンバーであってもその時のみの一回だけの演奏になります。繰り返し聞く人も、初めて聞く人も、その音楽の美しさを受け取ることでしょう。
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