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言葉のない練習 [音楽の話題]

高校生の頃、文化会館にある有名な日本人指揮者がシベリウスの交響曲2番を聞きに行きました。友人達はあまり良い演奏ではなかったと言いいました。私も同感でしたが、なんかその指揮者はもっと良い演奏をするという期待感がありました。応援の意味で、演奏が終わったら声を出しました。

その数年後、学生のアマオケに入団しようとしたら、次の公演はその指揮者でシベリウスの2番をやると聞いてびっくり、練習最初の頃の弦だけの練習に、なんとその指揮者が来ました。アマオケの弦練に来るというのは今では考えられないくらい珍しいことです。その時に最初にやったのはモーツァルトの40番の第2楽章でした。1年目は2nd Vnになるのですが、たまたまトップサイドに座らされ、目の前の棒を見ながら弾きました。すると、何も注意を言わずもう一度、と言い、それから何度も出だしの部分を繰り返しました。何か注意はされたかもしれませんが、無言で何度も繰り返し弾かされたことが強く記憶残っています。  

指揮者や共演者が、言葉でこうしてほしいということは普通にあることですが、そういうことを言わずに繰り返しやることもよくあります。プロならばもちろんですがアマでも、演奏することでその時の修正点を見つけます。特に初めての共演ともなれば、お互いの音楽のイメージが異なったりするので、合わないことなどは普通にあります。よく聞いて合わせる、という言葉がありますが、これは言葉通りの意味ではなく、聞いて修正することを意味しています。厳密に言えば、聞いてから次の音を合わせるのでは必ず遅れます。合わせるのではなく修正というのが厳密な意味です。だから合っているときは、聞いて合わせているのではなく、修正もなく、一緒に演奏しているというイメージです。

最近は言葉で説明することが増えているのではないかと思います。またそれによって、アマチュア演奏家はあまり聞いて修正せず、言葉の説明や指摘を待つという姿勢になっています。自分で自分の演奏の修正をしていないのです。これは演奏家として自立していないことを意味します。それは依存していることで、常に先生から指摘されないと上手にならないと勘違いしており、さらに指摘がなければ問題ないという勘違いもしているのです。こういう自立していない演奏家は上手になりません。

アイドルグループでは、卒業という言葉が使われます。しかし、卒業とは何かを習得することで生じることであり、アイドルグループから抜けることは卒業とは言えません。こういうふうにして間違った言葉遣いをすることで、その言語はいわゆる堕落し、本来の意味をなくし、あるいは曖昧にし、文化を破壊して、人々の意思疎通だけでなく、思考もがうまくできないようになります。学校の国語の授業で言葉を正しく使いましょう、と教わったはずなのに、多くの人はその意義や価値を理解できず、好き勝手に言葉を使っているのです。さて、卒業の意味にはもう一つの面があり、それは自立です。アイドルグループから卒業するということは、この面については、共通しているとは言えます。

自立した演奏家になる、ということができれば、言葉による説明や指示を求めるのではなく、自分で演奏の修正をすることができます。だから、練習することでどんどん上手になります。もちろん、勘違いしてはいけませんが、自立していることと、先生に教わることは全く別のことです。自立とは全く関係なく、別に段階というものがあり、自立はその一つの重要な段階です。そのために先生に習うのは効率よく、自立した後でも普通にあり、逆に言えば子供の早い段階からも自立している場合があります。自立せずに先生に習うと、指摘されたことだけしか修正されません。自立することで自分の抱えている問題に対して自分で対処する姿勢をもっているので、練習することで修正でき、どんどん上達します。それが人から言われなければわからなければ、指摘された問題点以外は残り、新たに発生する問題にも気づかないので、先生の最低限の指摘だけでは、ほとんど上手しません。しかもその指摘は時間とともに忘れてしまったりもします。

自立した演奏家同士ならば、ある程度は言葉なくても繰り返し練習で修正ができます。そういう練習ができるかどうかで、自立しているかどうかの判定にもなるでしょう。

最初の話も戻ると、この有名な指揮者の方は、未熟な私達を、自立した演奏家として扱ってくれたのかもしれないと、今になると思うのでした。
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