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フィギュアスケートに美しさは必要か [偉そうな一言]

フィギュアスケートのペアのタラソワ・モロゾフの二人は素晴らしいものでした。ワリエフもそうでしたが、技術だけでなく、きちんと美しい動きをしていました。この二人を見たら他は見なくてもいい、と思えるほどです。もちろんそんなことはありませんが。
女子のソロなどもそうなのですが、実は順位の低い選手のパフォーマンスにはとても素晴らしいものがたくさんあります。男女が同じ動きをするだけで美しいのです。しかし、単に同じ動きをしてもそうではない場合があります。つまり、二人がぴったり同じ動きをすればいいというものではなく、そこにある美しさを表現するようにしないと美しくならないのです。解説やアナウンサーの方が、ゆったりしたスケーテイングが音楽に合ってました、とか、音によく合ってました、と言うのは全く逆で、初めから音楽や音に合わせたスケーティングの表現をしているのです。演奏者は似たような体験をよくしていると思います。合わせる気持ちで合わせるのと、そうではなく単に合っているのとでは全く異なる演奏になります。楽譜を見るだけでなく、その音楽のイメージを持つだけで全く異なる演奏になります。フィギュアスケートでは、この美しさは下位の選手でもよくあるというか、上位の選手と異なり、むしろそこを重視しているように見えます。フィギュアは技術の点数で決まるので、たとえば同じ動きでもより美しい、となっても点数は高くなりません。むしろ、上位の選手は順位を気にするために技術ばかりに注意や練習が増えることになり、むしろ、こういう美しさは気にしなくなりがちです。それなのに、上記のロシア選手たちは、その順位にいながら美しいのです。それは演技そのものを楽しむ者には本当に喜びです。そして、始まる前から既に演技に入っており、終わるまで、一連の動きは有機的に関連して作られています。
技術が難しくなると、むしろ演奏はそれだけになるということは、バイオリン演奏でもあります。難しい曲を練習し始めると、それだけになりやすいのです。パガニーニなどがいい例です。それをきちんと弾けると、それで満足しがちです。しかし、そういう演奏はつまらないもので、一度聞けばもう十分です。音楽の美しさに対する注意が欠けてしまっているからです。それは上手になればなるほど、何度もやってくる危険性です。気がつくと、技術は素晴らしいが、とんでもなく退屈な演奏になっています。
パガニーニは単にテクニックだけのつまらない曲では、ということが言われたりしています。残念なことですが、パガニーニの曲はそんなつまらない曲ではないです。技術的に難しい曲ほど、技術以外のことにより意識的な注意が必要です。

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