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フィギュア男子ショートは注目 [偉そうな一言]

ィギュアスケートで一番楽しいと思うのは、アイスダンスです。人気種目のソロはあまり興味がありませんが、今回の北京オリンピックの男子のショートを見て、びっくりしました。3人とも素晴らしいスケーティングでした。
フィギュアでは美しさは関係ありません、だから、ぶっちゃけ、点取りに走れば、大して面白くないスケーティングでも良いのです。しかし、王者たるもの、そんなチンケなスケーティングで良いのか。羽生君は常に王者として、美しくないスケーティングは意味がない、とでも言うように、美しいこと、観衆に心に残るスケーティングを心がけているに違いありません。そして、羽生君の影響が受けてか、男子3人のショートはすごく美しいスケートでした。

フィギュアの点数は理性的判断で行われます。それは美しさとは全く無関係です。芸術はそこに崇高な思考が感じ取られたとしても、常に感覚を通して訴えかけてくるものが大事であり、理性的判断となるような明確な基準を持つものではありません。フィギュスケートには以前、そういう項目がアーティスティックポイントとしてありました。しかし、これは判断基準が曖昧であり、結局は仕草や流れといった、理性で捉えられる基準というものに置き換えられてしまいます。それで、そういうものがあるスポーツもありますが、フィギュアスケートではなくなってしまったのです。残念ですが、そうなのです。

以前書いた繰り返しになりますが、フィギュアスケートという名前の由来を知っている人は案外少ないと思います。ネットの情報は間違っているので決して鵜呑みにしてはいけませんが、フィギュア、形というのは選手の姿のことではなく、氷の上の図形のことです。初心者が最初に身につけるであろうスリーターンという、体を180度反転させる技がありますが、このスリーは氷に数字の3が描かれることから来ていると考えられます。そして、過去においてはコンパルソリ、規定競技という、この図形を争う競技部門があり、それと現在と同じようなフリー演技で点数を競ったのでした。コンパルソリは円や8の字を描き、その正確さを競うもので、定規で測定されました。この競技は選手にとっては精神的にかなりきついもののようでした。しかし、滑っている時の姿勢は、採点範囲ではあったようですが、大変美しく、特に滑り出しなどは、本当に芸術的な動きなのです。そのダイナミックな動きの後に、図形を描くときの静かな姿勢、個人的にはこれほど魅力的なスポーツはないとさえ思います。しかし、地味であり、テレビ受けするはずもなく、競技として無くなってしまいました。

元のショートプログラムの話に戻ると、男子3人の良さは、その美しいスケーティングだと思いますが、そのポイントは、実は滑っている時の脳内活動、つまり、精神状態と思考内容にあると思います。昔から知られていますが、実はあまり広く走られていないことが、人間の動作はその時の精神状態や思考に大きく影響されるということです。フィギュアスケートだけでなく、多くのスポーツや芸術で、テクニックとともに、かなり敏感に反応します。しかし、これを知っていてもそれをコントロールするのはなかなか難しく、大変です。スポーツでは、脳内ホルモンのコントロールという方法が使われたりするのがあるくらいでしょうか。自己暗示を使う方法は危険で、反対の結果となる逆暗示があるだけでなく、続けることで誇大妄想狂、つまり現実を自分の妄想で置き換える行動習慣になってしまいます。
3人の男子は、結果と関係なく、きちんと自覚した自信を持ち、そしてスケーティングを可能な限りイメージ通りに滑りました。言葉で言うと簡単ですが、なかなかこれは難しいことです。なにより、イメージしているスケーティングが美しいからこそ、できるスケーティングです。

ちなみに、全く話は変わりますが、音楽においても、演奏中、どういう音、どういう音楽を紡ぎ出すかというイメージはとても大事です。確実に、それは音に反映されます。

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