SSブログ

私達はアスリートに何を期待しているか [偉そうな一言]

東京オリンピックをテレビで見る、それは遠い国でやっているオリンピックを見るのと何ら変わりません。そういう都民が街へ出ると交通機関は制限があり、街は人で溢れていて大変な混雑、それはオリンピックが行われているからである、となると、都民にとっては、東京でのオリンピックは迷惑以外の何物でもないです。実際、都民の多くはずっと東京でのオリンピックには反対でしたし、私のように、今でもオリンピックそのものには反対している人は多いでしょう。そして、東京オリンピックとは言えない場所でも競技が行われるのですから、実質は東京オリンピックではなく、東京などの日本の都市オリンピックです。これを押し進めた人の浅薄な思考がよく現れていると言えます。とはいえ、もちろん、選手を応援するのは当然です。

以前、クラシック演奏家のコンペティションで第一位となった演奏家に対して、第一位だから世界一上手です、と言った女子アナウンサーがいました。もちろん、クラシックファンがご存知のように、このコンペティションというものは、若手のプロへのデビューを助けるためのものですから、優勝者よりも上手なプロがそこら中にうじゃうじゃいるのです。日本のテレビの情報番組では、このように、思いつきのように根拠ないことを平気で言っている場面をよく見かけますが、そのテレビ局は、オリンピックとなると、メダルの数ばかりを強調します。馬鹿げた話と思いますが、そういう見方が選手が力を発揮するのを妨げていると思います。メダルに関係なく、素晴らしい内容の試合をもっと放送してもらえるといいと思います。

クラシック音楽では、上手に演奏しよう、つまり、上手であることを知ってもらおうと、演奏してはいけません。それは子供の頃から既にだめなのです。そうすることは、目の前にある曲を利用して、自分の才能を示そうとすることであり、本来は逆で、自分の才能や努力を通して、曲の価値を示すように演奏するものです。つまり、目的と手段が入れ替わっているとも言えるかもしれません。聴衆はその演奏を聞いて自分の心に伝わってきたものを知り、それで、また聴きたい、楽しみたいと感じます。ところが、聴衆に上手なことを知ってもらいたいとなると、かなり演奏の早くの段階でそれはわかりますから、どれだけ上手であっても、場合によっては、それ以後の演奏には聴衆は興味を持たなくなります。つまり、退屈な演奏そのものです。こういう演奏が良いわけはなく、二度と聞きにもいかないでしょう。

実は、スポーツにも同じようなことが言えると思います。ところがそのことは最近は全く聞いたことがありません。ラグビーで日本が勝った、バドミントンダブルスで日本が優勝。そういう場合に、まさに日本人全員が喜びますが、大事なのは勝ったことだけではなく、その試合内容がすばらしいからでもあるのです。そして、負けても満足な試合というのがあります。反対に、勝ってもなんじゃこりやという試合もあるのです。勝ち負けよりも大きな価値があると言って良いのが、その試合内容です。そこが面白いから人々は楽しめるのです。勝ち負けを全く気にせずにスポーツ観戦を楽しむ人はものすごく多くいます。

アスリートの皆さんには、もちろん勝つという目標は当然ですが、是非、観客を楽しませる試合内容というものに全力を注いでください、と言いたいです。普段の力を出していい内容をすれば、結果は自然にその通りになります。それがメダルに届かなくても、素晴らしい内容の価値は全く変わりません。

ただし、観客を楽しませるというのは、単に全力でやればいいということではありません。多くの点でそれは不足なのです。ですから、普段からそういう練習、スポーツの素晴らしさ、という価値に基づいたプレイをする必要があります。アマチュアスポーツでもそうです。そういうプレイをすれば、何より自分も楽しいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、アスリートの皆さんには、是非、普段の力を出して、私達を楽しませる内容のプレイをしてください、と言いたいです。結果は自然についてきます。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。