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これはクラシック音楽のアニメなのか [偉そうな一言]

「青のオーケストラ」というアニメが全然面白くありません。高校のオーケストラクラブ活動で、クラシック音楽がテーマかと思いましたが、いじめというテーマを暗く扱ったりしてます。それに音楽に関しても、あれというシーンばかりです。

violinのパート練習はパート全員でただ一緒に弾く練習場面ですが、ただ合わせるだけだと、たとえば、その演奏のタクトが不正確だったりすると、合わせることで変な癖がついてしまいます。演奏はこう弾ければ良いではなく、どう聞こえているかが大事です。トップが棒を振り、演奏を確認し、それで課題の部分ができるようにする方が良いのです。こうすることで、トップはメンバーの出来具合もチェックできますから、席順や乗り番なともテストなしで決められます。

また、全体練習で指揮は顧問の先生なのか、1stバイオリンが乱れたら、コンマスにきちんとし練習しろと言うだけで、コンマスは謝り、はいと言う。わっ、これは軍隊か、と思ってしまいました。実は、メンバーのミスがあっても、そのメンバーが悪いとは言えません。練習でずれたとき、合わない原因探しはかなり難しいのが普通ですし、意見が全く逆になることもあるのです。プロではないので、どんな理由があっても、ミスをするメンバーは悪人、のような風潮を作ってはいけません。合わない時はもう一度やり直し、どうしても合わない時は、次回に持ち越しでいいのです。

一番疑問に思ったのは、演奏の上手下手を競い合わせることです。演奏とは多次元のものなので、順位をつけることは原理的にできません。若手演奏家への道を助けるためのコンペティションの真似をしてはなりません。

私の経験から言えば、だいたいそのパートの演奏を間違いなく良くできる方法があるので、その方法を一つご紹介します。市民オケなどでもやったら随分良くなるでしょう。たとえば、ここはもっと歌ってほしい、という時、どんな風に歌うかを一人一人順に演奏してお互いに聞き合うのです。もし、一人一人が無理ならば、逆に一人ずつ聞く側に回って、パートの演奏を聴きます。他の人の演奏を聴くことはとても勉強になることです。一人ずつならば、上手な人はちろんですが、実は下手な人も聞くべきところがあったりします。それが新しい発見になり、各自の演奏が良くなるのです。しかもお互いの演奏を聴いているので、パートとして合わせやすくなります。また、パートの音を聞くことで、どこに問題があるか、あるいは自分と異なる所などをしっかり自覚できます。繰り返しますが、自分たちの演奏を聞くことはとても勉強になります。
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反射的動作の練習 [音楽の話題]

世界卓球で、日本選手と中国選手の試合は素晴らしいものでした。そのとき、ここぞ決め手というところに限ってミスが連続するなどがあったりしました。相手の球が普通と違う回転をしているなどもありますが、実は肝心あところのミスというものは多くのスポーツでよくあることです。このミスの仕組みについては、スポーツ科学でもよく知られていることではないかと思います。

人間の動作は、動作をやると決めて行う意識的動作よりも、動作そのものについて意識しな無意識的な反射的動作の方が正確で、しかも速いのです。このことを明らかにするために、アメリカの大学のある先生は、学生などを相手におもちゃのピストルで西部劇の早打ちゲームをしました。つまり、決闘の場で、ヒーローは向かい合った相手にいつでも好きな時に銃を抜いてよいと宣言します。そしてその結果はヒーローの方が早く抜いて撃つのです。ヒーローはそれだけ抜くのが速いのだと思えますが、速いことはもちろん速いのですが、実はそうではないのです。大学教授は実際に学生相手に同じことをして、その通り、一度も負けなかったのです。学生は撃とうとして抜くのですが、結果負けなのでした。大学教授は、相手が銃を抜こうとする最初の動きを見てから反射的動作として銃を抜いたのです。その方が速かったのです。

卓球に限らず、スポーツでは普段の繰り返し練習で反射的な無意識的動作を行なっていますが、しかし、試合ではここは決め手を出すぞと、ついうっかり意識的動作にしてしまうことで、ほんの少し正確さが劣ったり、動作が遅くなってしまいます。それによって決め手でミスをすることになります。調子のいい時のように、普段の練習通り意識せずに反射的動作をすれば成功します。練習では単に無意識の反射的動作の繰り返して無意するだけでなく、それが意識的動作にならないように、その時の意識のコントロールも練習する必要があります。

音楽以外の話が長くなりましたが、上記の話はスポーツだけでなく、楽器演奏でも同様です。私が書いた本の中で、演奏においての、この意識的動作と無意識的動作の話があります。おそらくこの話は私しか今の所は文字にしていないと思われますが、そういう練習方法自体は、いわゆる繰り返し練習として、既に行われています。ただ、練習のポイントの置き方、練習の捉え方は、異なっていることが多いと思います。繰り返し練習はまずはテクニックを安定させるために行いますが、その後も単に慣れるためや暗譜するためなどだけでなく、積極的に、無意識的動作にして正確さを上げるため、に繰り返し練習をするといいです。さらに、本番でこの部分をつい意識的動作にしてしまうことがあるので、この繰り返し練習では、無意識的動作を意識的動作にしないように、反射的動作するようにします。例えば前の音からの反射的動作、あるいは共演者の音に対する反射的動作、あるいはアルテの形を取ってからのは反射的動作なども可能でしょう。反射的練習のポイントは意識のコントロールの練習です。
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COVID-19:気ままにものごとを決める行政 [社会問題]

CDの規格を決める際、ソニーの大賀氏がベートーベンの第九が入る長さにしようと提案して決まりました。クラシックではもっと長い曲はたくさんあるし、第九でもベームなどの演奏は入らない長さだったりしたのですが、規格に限らず、物事を決めるには根拠や基準というものが必要です。

コロナ観戦事態は全く何も変化していません。行政は猿でもしている学習行動を取れずに何度も感染拡大の波を作り出しているのも変わりません。そのなのに、2類から5塁に変更しました。これでわかるのは、分類の基準がない、ということです。つまり市民の代表が行政をしているのではなく、勝手気ままに物事を決めているのが行政です。
マスクをするかしないかを判断するには、感染の危険性情報が必要です。しかし、それももはや公表されません。それでマスクの着用は個人判断とするのは、もちろん行政の無能、無責任、さらにその隠蔽と言えます。また、これではマスクをしない責任も取れませんから、社会全体を無責任で満たすことになります。

とんでもない、ありえない行政です。

このことは、与党を支持することに、決して思想の自由はないことを示しています。無能無責任を横においても、犯罪相当に当たることをしています。例えば、100%市民を危険にさらし、完全に憲法25条違反をしている、ということが、支持してはならない明確な根拠です。

政府はコロナ感染の責任はどこにあるかを明確に公表し、市民が判断できるように、危険性に関する情報、さらに個人に責任をなすりつけるなら、最低限接触情報を知ることができるアプリの配布をすべきです。
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サイコパスの有名人 [社会問題]

サイコパスpsychopassは精神疾患ではありません。それは最近概念として固定されましたが、大昔から人間の間にはこういう精神構造の人々がいました。感情がないというより、倫理観が根本的にないのです。善悪判断の問題ではなく、極端な言い方ですが、自分以外の存在は何の価値もないという見方です。そしてこれは遺伝しますし、またそういう姿勢の人間と関わり、影響を受けるとサイコパス傾向を持ち、やがてサイコパスとなり、脳にサイコパス回路ができます。もちろん、理性を身につけ、理性に従った行動ができる人間ならば、脳にサイコパス回路があってもそういうことはしませんから、遺伝よりも本人の知性レベル、もちろん学歴などには全く関係ない実質の知性レベルで決まります。

サイコパスを見分けるのは、特徴を知って、現実をきちんと観察できる人には簡単です。一番大きな特徴は、金と権力の亡者ということです。つまり、それ以外の全ての価値を否定し、金と権力以外のものだけを追求します。当然、他人の命など全く価値を持ちません。家族であっても全く同じです。もう一つの大きな特徴は嘘を平気で言えるということです。単に嘘をつくだけでなく、欺瞞行為や詐欺行為を普通にしています。ですから、サイコパスの人について他人の評価は、人の話を親身になって聞いてくれるとても良い人、あるいは間違ったことをしたらきちんと謝れる真摯な態度の人、などがありますが、話なんか聞くふりですし、謝ることで相手が完全に自分を信頼することを意図しています。このように常人の理解を超えて嘘をつくのです。ですから、知らないとすっかり騙されます。また、自分の得た権力や金を守るために、なんでもやるのです。これも大きな特徴です。

以前は3%ほど、つまり日本で言えば一クラスに一人いることになります。そしてこれは増えています。しかし、これは一般的なデータであり、金と権力の亡者が集まるところでは97%がサイコパスです。自分の責任で人が亡くなれば、責任を感じて悩んだりしますが、サイコパスは自分の責任で人が亡くなると、命を自由にすることができると勘違いし、むしろ自分のせいで多くの人が死ねば死ぬほど、自分が手にしている権力はそれだけ大きいと喜ぶのです。

誰でも知っている人間達がサイコパスであることがわかるでしょう。
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COVID-19:マスクをしない無責任と政府の責任転嫁 [社会問題]

自分の行動には責任を持つべきです。責任を取るとは、元の状態に戻すことです。戻せない場合は、相当する補償をしなければなりません。しかし、人が亡くなったりしたら、補償のしようがありません。

COVID-19は症状が出ていない潜伏期間中でもウイルスをばらまきます。感染してから20分後にはウイルスをばらまいた、という事例があります。これがインフルエンザとは違い、根本的に大変危険なウイルスの性質なのですが、日本では専門家でさえ、いまだにこの危険性を認識できません。

今は正確な感染者数が出ていないので、危険度の予想の制度はかなり低いですが、東京では300人に一人は感染者がいると個人的には予想しています。マスクをしなければ、感染のリスクはその分高くなります。感染してしまったとしても当然の話になりますが、問題はここからです。感染した人間は症状が出ていなくてもCOVID-19のウイルスをばらまきます。それは空気中だけでなく、触ったところや話したところの近くのものにも付きます。これがウイルスをばらまくということです。それによって感染させられた人は家族をも感染させるでしょう。死ななくても後遺症があれば、病院通いとなります。この全ての責任を取り、元の状態に戻さなければなりません。しかし、一体誰がこの責任を果たせるのでしょう。そもそも責任を取るために、自分が誰を感染させたか、それを個人が調べることは不可能ですし、もちろん行政がやるはずはありません。言えることは一言です。マスクをしないことは、無責任そのものです。

コロナ感染の責任は完全に日本政府にあります。しかし、マスクをするしないの判断は最初からずっと個人判断であり、それを強制する法律はありません。今、個人判断にするということを言っているのは、無意味なだけでなく、その意図が、言葉通りの意味ではなくて、感染を個人責任に転嫁することにあります。そして、日本政府とその後ろの専門家の責任を隠蔽し、自分たちの無責任を通してしまおうとしているのです。それだけではなく、マスクをしない人間は無責任となるのですから、人々に間に無責任を当たり前にしようちしているのです。

これほど酷い時代はありません。日本政府や行政、その後ろの専門家達の無能と無責任を知らなければなりません。そして、こんな愚か者たちに自分の人生を左右させるようなことを許してはいけません。
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傘がない [社会問題]

この話はもちろん陽水の歌のことではありません。個人のありきたりの体験談です。

雨で電車が遅れていたのですが、時間があると思い、トイレでうがいをしていました。傘を忘れないようにしようと置いてうがいをしていたら、トイレのスピーカーから〇〇番線に電車が到着します、との案内で慌てて水筒をしまい、バッグを背負い、マスクをしてトイレを出て階段を駆け上がり、無事乗ることができました。周りをフッと見ると、手に傘を持つ人ばかりで違和感、あれなんで両手が空いているんだ、となって傘を置き忘れたことにすぐに気づきましたが、快速電車に乗ったので、戻るにはかなりの時間がかかります。それにあるかどうかもわかりません。次の駅で忘れ物センターに行き、事情を話しました。年配の担当者は丁寧でしっかり仕事をしているので、時間がかかりましたが、数時間後に忘れた駅の戻ることを伝えると、届いていればその駅で受け取れるから、と教えてくれました。

帰りに駅に寄り、まずトレイを覗きましたがもちろんありません。近い駅事務所で行きましたが、やはりありません。一応念のため、その駅のもう一つの改札にある駅事務所に行ってみました。ビニ傘ではありませんが、安っぽい傘です。期待せずに行くと、混雑時で並んでいて、前の人はさっきの電車の網棚にカバンをすっかり起き忘れてしまったとのこと。楽器を置き忘れるとほぼ100%戻ってきませんが、カバンも同じでしょう。折り返して戻って来る電車に乗るようでした。人ごとではないので注意。私の場合は、なんと、傘がありました。届けてくれた人がいたのです。起き忘れた場所の近くではなく遠い駅事務所なので、その間持ち運んでくれたのです。よかったと思ったら、身分証明書ありますか、という問いでガーン。持っていませんでした。混雑時の忙しい時に対応してくれた駅員は素晴らしく、あとでお礼を言いましたが、ともかく、傘はなく、濡れて家まで帰ってきました。

4日間くらいは保管してあるのですが、電車賃の方が高いくらいの傘です。家族は鶏肉必要はない、というのことですが、私は自転車なら片道1時間なので、身分証を持ち、自転車で取りに行きました。サイクリング気分でした。昔から長時間自転車に乗るとお尻が痛くなるのですが、当然帰りには痛くなってしまいました。帰ってくると家族は相変わらず、この傘取りに行かなくても良かったのに、と笑っていました。

私が傘を取りに行ったのには理由があります。それは、大して立派でもない傘、その忘れ物なんて、みんな無視しても当たり前です。実際そういう現場を見ましたし、私も時間がなかったのでそれを届けませんでした。それをわざわざ届けてくれた人の気持ちと行動を大事にしたく、取りに行くことで、これがあるべき形で完結する、と思いました。こういうことは文化的価値というものです。経済的価値を考えたら取りに行かないほうがいいです。また、人の気持ちや親切全てが文化的価値でもありません。しかし、私は拾得者の気持ちと行動にはその価値があると思いました。音楽をやっているならなおさら、文化的価値には注意しなくてはならないと思っています。
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ポジションで迷う問題 [音楽の話題]

楽譜に書いてある指番号を見ると、例えば、3rdポジションから2ndに下りて、また3rdに上がる、ように指番号が書いてあって、その通りポジション移動している人はいると思います。小指を伸ばして半音上の音を取ることは普通ですが、私のように逆に人差し指を伸ばして半音低い音を取ることをしている人もいるのではないかと思います。同じように上記の2ndポジションの指番号のところは、3rdポジションに置いたまま取ることができます。これは訓練は必要ですが、ポジション移動をしないのでかなり便利です。しかし、なんとなくその指の使い方はポジションという奏法から離れていると考え、使うのを逆に避ける人もいると思います。また、使っていいことかどうか迷う人もいるでしょう。

ブログ下段に置いたリンクのブログにpivotingという技術について説明があります。フィンガードオクターブや10度の重音を取る段階あたりから、使う感じでしょうか。前述のようにポジションをかなり自由に考えれば、必要に応じ使うことは一つのコツと言えます。個人的には、ワンポイント的に、例えばベートーベンのソナタ7番の第1楽章の103小節目、バッハシャコンヌの85小節目、メンデルスゾーンの協奏曲の第3楽章あたりで使っています。

ポジションでは別の問題もあります。たとえば2ndポジションですが、シャープ系とフラット系の調で2ndポジションの位置を微妙に変えている人はいませんか。スケール練習で確認できます。シャープ系では少し上げているのです。こうすると2ndから4thへのポジション移動などはかなり楽になります。これもこの事実踏まえて使うのはとても便利です。私は意外と2ndポジションは一つで済ませたく、低い位置を優先しています。

https://www.dearviolinstudents.com/ja/2020-01-28-164955/615/?unapproved=453&moderation-hash=4393c43f00949381fae2d084572ea81f#comment-453s
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AI崇拝者が増えている [社会問題]

中学生の頃、担任の英語の先生と給食を一緒に食べながら、戦争の話になった時、先生は、戦争になると科学が発達する、とおっしゃり、戦争は悪と話していた私達は、その言葉にえっとなり、だまってしまいました。そのことについて、私はその後もときおり考え、科学そのものが早く発達することは良いことなのだろうか、と別の疑問を持ったのでした。先生は私達に物事の両面というものを教えてくれ、その問題について、自分達で考えるということを知っていたのです。先生は当時の普通の英語の先生でしたが、ゆとり教育以後、理解できないことは教える必要なしとされ、こういうことを教えなくなり、教育レベルは低下し、それはかなりひどいものです。理解できなくても教えるべきことは教えるのが教育の基本なのですが、それが否定されましたから、当然の結果です。

科学の発達というと良いものという思い込みがありますが、ダイナマイトの有名な話でわかるように、実際科学技術は道具であり、どう使うかによって変わるものです。アメリカはベトナム戦争時に人間の精神をコントロールする研究を発展させ、ゲーム理論などが作られましたが、その線、アメリカの消費者のコントロール、そして現在は世界中の大衆のコントロールに使われ、一時期、世界中の嫌われ者だったアメリカに、今は多くの国が言いなりになっています。しかも心理学者、社会学者もこのことについて全く認識できず、すでにアメリカのマインドコントロールに染まっています。

機械や道具の開発により、人間は肉体をあまり使わなくなり、昔より肉体は貧弱になりました。これは肉体に限りません。今はコンピュータやAIによって頭を使わなくて済むようになり、人間は昔より精神活動も減り、記憶力一つでもわかるように、精神が貧弱になりました。それは日本の教育制度の改悪にも現れています。今は、タブレットなどを使うようになってしまい、子供達の脳の発達そのものが抑えられています。そして、この知性の低下はテレビやネットなどによって大人にも広がっています。

前述のように知性の低下は日本だけでなく、世界中で起こっています。今後AIは不必要なことまで含めて、あらゆることに使われるようになり、人々はAIを信用し、自分の頭を使わずに、AIに依存するようになります。それによってますます人間は馬鹿になり、ますますAIに依存するようになります。すでにアメリカでは多くの人がAIによる判断に従っているようで、まさに旗を振りながら堕落の先頭を走っていると言えます。

世界をどうしたらよいかについて、AIはこう答えるでしょう。人口過剰があらゆるの社会問題の原因になっているので、人口を減らすべし。さらに権力者達とその仲間は問題解決能力がなく、問題を悪化させるのみなので、即排除すべし。ターミネーターの世界は単なる空想ではありません。


AIを神のように崇拝する人々が増えていて、AIを広め、AIで世界を変えようとしています。しかし、AIに依存し、信じではいけません。AIの使用で人の精神は貧弱になり、馬鹿になります。AIに依存せず、自分の頭を使うという努力をしなければなりません。
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COVID-19: 詐欺行為に騙されるな [社会問題]

COVID-19については、行政は嘘を平然と報道していますが、しかし、単なる嘘ではなく、人々を騙そうとする詐欺行為になっています。信じて騙されないようにしましょう。

テレビで政府が出している広告では冬には感染が増える、みたいなこと言ってますが、夏にも感染が増えています。まるで季節性があるような誤解を与える一面的報道で、嘘ということを回避しながら、誤解を生じさせるので、完全に詐欺行為であると言えます。
しかも感染拡大は政府による旅行推進が直接関係していることはこれまでも何度も指摘され、政府はまったく認めずにいい加減なことを言ってごまかしてきました。今回の広告も無責任を誤魔化す酷す隠蔽工作です。
オミクロン対応ワクチン接種を促していますが、ワクチンが危険であることを全く無視しています。コロナ感染者の死亡率は0.1%であり、この数字は最初から変わっていません。ワクチン接種していても感染し、その死亡率は変わっていません。ワクチンが効果があるというデータ、つまりevidenceもありません。そういうデータ収集は日本では全く行われていません。

ドイツの複数の専門家の話では、2021年同様相変わらずワクチンは危険なので、ワクチン接種はすべきではない、ということです。死亡したり、副反応で苦しめられます。
5類にしようとしていますが、それはまさに政府の無能さを示しています。防衛という名でアメリカに渡す金はあるのに、コロナ関連に使う金を大幅に減らそうとしているのです。もちろん、感染はずっと個人責任にしていますが、実際はできる限りの対策をしても感染しますから、その感染した人間にその責任がああるはずはありません。責任は完全に行政にあります。また、こういう事態は憲法25条に違反しています。

オミクロンが入ってくる前、日本では感染者ゼロの県もありました。政府は水際対策をしっかりやると言っていましたが、全くざる状態で、すぐに日本中広まりました。政府と専門家は、コロナ共存と宣言したことでもわかるように、韓国や台湾、ニュージーランド、あるいは中国のように感染を収束させるには何をすればいいかということが全くわからない、一言で言えば無能です。政府からのいかなる言葉も信じてはいけません。

コロナに感染すると、老人は死亡率が高いです。政府のコロナ共存政策は、まさに老人殺害政策と言えます。年金も株投資されているので、大幅に減ることがあり、老人の数は少ない方が問題ない、と考えているのでしょう。若者はゆとり以後思考力、理解力が低下しており、旅行や子育てで金を配っているので、与党に票を入れると、完全に馬鹿にされています。老人は与党には批判的な人間が多く、数が減ることで与党政府は安泰であるとしているのでしょう。

感染リスクを狩野な限り下げることをします。まずマスクをきちんと装着すること、人との距離を無風状態で2mは取ること、さらにうがい手洗い、顔洗いを徹底すること、もちろん免疫に必要でも、不足がちなビタミンB12、C、E、そして亜鉛をとること、などをする必要があります。そうすれば、ワクチン接種は危険でしない方がいいです。

私はコロナ以前から、中国からやってくるPM2.5を吸わないように外ではマスクをしていました。これも政府が対応すべき問題です。また、スマホなどの5Gの電波は電子レンジなどにも使われている4Gよりも一桁周波数が高く、人間だけでなく植物までも含めて、細胞を破壊する危険性があると、海外では報告されています。そのために安全性が確認できるまで5Gを導入しない国もあるのに、日本では既に発信されており、日々細胞を破壊しているのです。5Gはスマホを使わなくても、基地局からの電波を浴びるだけで危険です。
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退屈な演奏とうるさい演奏 [偉そうな一言]

先日、ある演奏を聴いたら、音楽が止まりそう、しかしまた少し流れて、また止まりそうになる、そういう演奏でした。聞いている方は退屈な演奏だなと感じます。それ以上聞いても何も期待するようなことはなく、途中で聞くのをやめた方が時間の無駄にならないと思いました。これは弾いている本人達にはまったくわからないのです。気持ちよく、弾いているからです。これとは反対の演奏もあります。落ちつきがなく、先へ先へ行こうとする演奏で、聞いているとうるさいだけなのです。何がしたいのかよくわからない演奏です。これもこれ以上聞いてもむしろいらいらするでしょう。その主な原因は練習不足です。楽譜にかじりついて間違えないようにしているだけなのです。

退屈なタイプはいわゆる上手な人に見られ、落ち着きないうるさいタイプは下手な人に見られるものです。この二つのタイプの問題は、同じで、それは不正確なタクトにあります。タクトがきちんと刻めていないのです。そのために止まるように感じられたり、落ち着きなく、うるさい感じになります。良い演奏は全く反対で、テンポが揺れているのにどんどん音楽がどんどん流れてきたり、もう一方はノリの良い演奏で、ぐんぐん引き込まれ、目がさめるような演奏です。タクトをどう取るかで、これが決まります。ここは落ち着かせる、ここはどんどん煽っていく、などのパターンで考えようとすると、その違いはわかりません。タクトというものが持つ特徴を知らずに、外見的に、理性的に判断しても理解できないでしょう。

特にこのタクトの不正確さは日本人によく見られる傾向ではないかと思います。というのは、海外で勉強してきた人にはあまり見られないのです。海外の人からすると、日本人のタクトの薄い演奏は新鮮な感じがしたりして、良い感じに受け取られる場合もあるようですが。タクトの重要性を無視するのは日本人特有の欠点であると思います。おそらく日本語にアクセントがないからでしょう。英語の勉強を8年間勉強しても、アクセントを理解せず、知らないのです。同じようにタクトは大事であることを知っている人も少ないと思います。音楽には、アクト、メロディ、リズムの三要素がありますが、同じように言語にも、アクセント、イントネーション、リズムがあります。対応しているのです。
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