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昨日が誕生日のストラヴィンスキー [音楽の話題]

録画していたものを見ていたら、ストラビンスキーの言葉というのが紹介されていました。

なにかを創造するには、心を衝き動かす力が必要だ。
心を衝き動かす力のうちで、
愛にまさるものがあるだろうか。

COVID-19についてはほとんど去年の段階で書いていますので、久しぶりに音楽の話題を取り上げます。
昨日の6月5日はストラヴィンスキーの誕生日。一日遅れてしまいました。それとは関係ありませんが、上記の言葉について、認知科学者と称する方や指揮者の方が、ああだこうだと言っていました。いつも思うのは、専門家の方は、一部全然専門知識が足りない方も多いですが、それは別の話として、一般常識については、びっくりするくらい知らない人が多いです。ですから、上記の言葉について感想を聞くと、そんな程度、とびっくりしてしまいます。
愛とは何か、と問うと百人百様の答えが返ってくるでしょう。愛とはこうだ、と言うと、いやそんなものは愛ではない、などという反論はよくある話だと思います。上記の言葉について、お二人は恋愛のことだと思っていて、愛とはそういうものとは違う、と言いたくもなりますが、そもそも恋愛以上に人を突き動かす力がないのは、まるで思春期真っ最中のようです。
コロナ問題でもわかるように、専門家は要注意で、専門以外のことは素人より知識もない、というのが今の日本では普通なのかもしれません。

今から2000年前にイマヌエルは愛について説きました。キリスト教とは関係なく、イマヌエルは愛について知ることは非常に重要なことであると考えていたのです。しかし、現在、単に恋愛しか思い浮かばない人もいて、愛について色々な考えが出てくるということは、愛とはそういういろいろな言葉で表される、ということではなく、単に、今だにあい張替sれていない、と言えます。私はキリスト教徒ではありませんが、ルカによる福音書10章25節~37節に「善きサマリア人」の話があり、隣人を愛するという言葉の隣人とは誰かの説明がされています。追い剥ぎの襲われ、道端で瀕死状態の人を、ある見ず知らずのサマリア人は通り過ぎずに助けました。そして、サマリア人はけが人の隣人と言え、隣人を愛しなさい、と説明されています。

キリスト教徒でないならば、ここからいろいろに考え、やはり愛とは何かについてここからも様々な考えが出てくるでしょう。単純に思いやりと考えることは決して間違ってはいません。隣人を愛せよ、という教えがあるのは隣人に対する思いやりがないからです。しかし、このように言葉を置き換えることによって、愛は容易に勘違いされてしまいます。言葉による置き換えではなく、愛についての説明の方が重要で、説明をそのまま理解することができます。
サマリア人の隣人へ愛によって、けが人はきっと助かったでしょう。愛がなければ死んでしまったでしょう。愛は存在させる力がある、と私は思うのです。そして、それが創造する力である、というストラヴィンスキーの言葉は、まさにその通りと思ったのでした。
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