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勝つ者が強いならば [偉そうな一言]

先日テレビドラマで、強い者が勝つのではない、勝つ者が強いのだ、という有名なセリフを言っていました。この言葉の意味は矛盾を含んでいるようなところがあり、なかなか難しいと思うのです。理解するポイントの一つは、勝者と強者は同じではなく、別物であるという点があります。そして、論理的に考えるならば、勝者の集団と強者の集団の関係は集合でいえば、勝者は強者の集団の中に含まれており、強者であっても勝者ではない者が存在します。

音楽演奏でも同じことが言えます。つまり、上手な者がいい演奏をするのではなく、いい演奏をする者が上手なのだ、ということです。ここでも、上手な演奏家といい演奏をする演奏家は同じではありません。上手と言われていてもいい演奏をしない演奏家がいることになります。

サッカーで日本がブラジルに勝った試合がありました。そのとき日本は強いチームと思われていませんでしたが、これを踏まえると日本は強いチームだったのです。しかし、あれ、ということになります。つまり、それはたまたまであり、普通は負けることが多いからです。そして、日本より強いチームの方が多いのですし、ブラジルは当然日本より強いのです。ここから、勝負というものはわからない、というより、勝敗はその時だけの価値しかない、ということになります。そして、勝つ者が強い者と言うならば、それもその時だけのことであり、その後もそれは保証されるのではないのです。だからこそ、弱かったら試合する必要はない、などと言う人は一人もいないのです。やって見なければわkらないのです。

驚くことではないですが、演奏にも全く同じことが言えます。あまり上手と思われていない演奏家がいい演奏をすることがあるのです。そして、いい演奏をした演奏家がいつもいい演奏をするわけでもないのです。だからこそ、下手だと思われているのでから、演奏することは必要ない、ということも言えないのです。

多くのアマチュアは自分達にはいい演奏はdけいないと思っています。そう思っている人間にはいつまでもいい演奏はできません。しかし、いい演奏は自分達にもできると知っていて、練習するならば、それは可能なことなのです。そして、いい演奏をしたからといって、次もできるとは限らないのです。

オリンピックでも同じで、勝敗はその時限りの栄光であるはずですが、最近の商業主義と結びつき、また、人々の空想が結びつき、どちらかというと不幸なことに、現実をありのままに捉えることが難しくなっています。

コンクールもまた同じで、結果がその後の演奏を保証するわけではありません。さらには経歴もまた同じと言えますが、日本人はそういう肩書きに弱い人が多く、それだけで仕事ができるようになるのが普通です。本当に音楽を楽しみたいのなら、そういう知識は不要で、ただ目の前の音楽に耳を傾けるようにするといいと思います。
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