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比べられないものを比べること [社会問題]

比べては、大小や強弱など判断するには、一つのものさし、つまり数字化が必要です。複素数でわかるように、数でさえ大小関係がわからない数があるのですから、比べることができないものというのは、世の中には普通にあります。一般には、これは質と量という言葉で説明できます。量は比べられるが質は比べられないものです。

しかしこの質を比べることは普通によく行われていますし、テレビなどを見ればわかるようにそれは増えています。昔の例ですが、一般人にペプシコーラとコカコーラのどちらが美味しいと思うか、というブラインドテストがありました。これはペプシコーラが行なった販売促進なのですが、実は多くの人がペプシの方が美味しいと判断するのです。実際に飲み比べると、確かにペプシの方が美味しく感じるのですが、ペプシのほうが若干甘いのです。それで飲み比べるとペプシを選ぶ人が多いのです。実際には、そこまで甘くないコカコーラの方が、飲んでいて飽きが来ない、他のお菓子などには相性がよい、ということがあります。

一般人でないプロによる比較もあります。やはり以前、日本人の寿司職人とスペインの寿司職人の腕比べをしたテレビ番組がありましhた。審査員は味のプロです。いい勝負でしたが、スペインの方が勝ちました。実は日本の方はきゅうりやエビの巻物が出たのですが、これは味が薄く、味の濃いものと比べると当然点数は低くなるのでした。味の濃いものがこういう比較では高得点になりやすいのは仕方ないといえます。調理したもの単品の味比べなどが行われたりするせいか、日本食はもともとご飯、味噌汁、漬物に焼き魚など、それぞれの味のバランスという点が特徴でしたが、最近はそれぞれが練られて一品として完成されてしまい、極端に言えば何を食べても出汁が利いていたりするようになってしまいました、食事全体の味のバランスがなくなってしまったのです。

音楽演奏でもこれは同じようにあります。当然演奏はもともと比べることができないものです。それを色々な面から採点し、順位を決めるのがコンペティションです。審査員であるベテラン演奏家にしかわからないテクニック的なところがあります。一方聴衆はそういうことはわからず、聞いて良かったと感じる人がいい演奏家だと思うわけですので、一般聴衆の評価と審査員の評価が異なる場合があります。演奏家が多少失敗してもいい演奏はありますし、大きな失敗はなかったが押しつけがましい遠そうで好きになれない、というのもあります。また、点数をつけるためには、やはりミスは減点になるのに対し、音楽的内容については質なので、客観的に点数をつけることはむずかしいのです。審査員により点数が全く異なることがあるのは、当然のことです。

このような比べられないものは比べるべきではない、とは思いません。比べられないものを比べる、それは人間が答えのない一つの問題に挑戦しているようです。そこにはやはり文化的価値というものがあり、とても面白いと思うのです。しかし、それは比べられないものを比べている、ということを、しっかりと前提として知っている必要があります。そうでないと、結果に対して必要以上にこだわることになり、価値をゆがめることになります。それはどちらかというと、この比べられないものを比べる文化的価値を捨てることであり、もともとの商品や職人、演奏家の価値をも認めないことになります。文化的価値が失われることは、一種の堕落です。残念ながら、最近はこのように結果にこだわりすぎて、それ以外の価値がわからなくなっているのではないかと感じます。

比べられないものを比べる面白さ、その価値、不条理さをもっと楽しむべきです。
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