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十年演奏を続けても上手くならないのは [バイオリニストの愚痴]

若い頃、とにかく自分が目立ちたいので、そういうバイオリン演奏をしてました。今から考えると、とんでもなく下手くそだったのです。しかし、そのことには気がつきませんでした。不思議なことではないかもしれませんが、アマチュアでそこそこ弾ける人は、案外自分の下手さがわかっていません。そして、目立とうという演奏をしようとします。かっこつけるわけです。自分の下手さが本当にわかっていたら、恥ずかしさで穴に入り、出ていたくなるなるでしょう。若い頃はそれでいいのです。それが未熟さであり、そこがわかるようになれば、自立してようやく自分の音楽の道を行けるようになるのです。

何十年も弾き続けていると、下手だった人も結構上手になります。ところが、これは普通ではありません。かなりの割合で、昔のレベルとほとんど変わらない人がいます。そういう人の多くは、昔から結構弾けると思われていた人々だったりします。そういう人は、自分よりはるかに上手な人はたくさんいるが、自分はそういう人とは違う。だから、そこそこ弾け、楽しめる程度で十分と考えているのです。あるいは、自分は大人になってからバイオリンを始めており、今から頑張ってもそこそこで、そんなに上手になるはずはないと思っているのです。確かに、一生かかってもパガニーニーのカプリス一つ、バッハの無伴奏曲一つもまともに弾けるようにはならないでしょう。

しかし、それでもきちんと練習を続ければ、演奏はどんどん上手になります。十年もすれば、自分自身それ以前とは全く違った演奏をするようになっているという自覚を持つようになります。それを、ほとんどのアマチュアの人は知りません。そして、自分はこんな程度で十分だと限界を決めて、結局共演者に迷惑をかけ、聴衆に苦痛を与えたり、少なくとも退屈にしているのです。そして、実は十年前よりも下手になっていることに気がつかないでしょう。

物事は進むか戻るか、成長するか衰退するか、上手になるか下手になるか、どちらかです。上手になるということは、下手になる部分と上手になる部分の差し引きで上手になっていることを示します。ですから、多少は上手になったと感じている程度であれば、大して上手にはなっていません。下手になっている部分に気がついていないのです。例えば、長い間続けていると悪い癖もついてしまいます。こういう部分は気がつかず、下手になっていることに気がつきません。また、いつも普通に弾ける部分は注意を向けることが次第に減ってきます。そして、そこは悪くなっているのに気がつかないのです。ですから、場合によっては、本人は慣れてきて上手になったと自覚しているかもしれませんが、総合的には下手になってしまっています。

まずは、上手になるのには限界がないことを知ることです。そして、実際にそういう人を見つけることができます。そういう人達と一緒に演奏を続けるならば、本当にどんどん上手になるでしょうし、それでも本人はまだまだ自分の未熟さを自覚しており、それがさらに本人を上手にする動機になるでしょう。

もし、周りの共演者が、現状満足、頑張ってもたかが知れているなどと考えていて、自己満足以外を求めていないならば、そういう集団と一緒に演奏するのは止めた方がいいです。悪い癖が移ったり、演奏の方向性も次第に同じになったりしてしまいます。英語で言うinvolved、つまり関係することで巻き込まれて同化してしまうのです。
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