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小学生にプログラミングは不必要 [教育]

プログラミングの教育用ソフトウェアとして、Logoというのがあります。これを私は中学生に教えていました。理由は、中学生になると思考力が発達し始めます。それに合わせて使ったわけです。しかし、それは中学3年生からでした。それ以前にはパラメータをいじってモジュールを組み合わせてゲームを作るなどの遊びをやったこともあります。これは勉強というより、休憩時間に脳の血流を変えてリラックスさせる意味でやっていました。

昔、自民党議員から小学生の頃からパソコンの勉強させたらどうかという話があり、全く不必要なこのようなことをやろうとするのは、単に教育における問題点がわかっていないからなのでした。物事を良くするのは基本的に、新しいことをすることではありません。教育は多くの新しいことを教えることと思うなら、大きな間違いです。一人の理想的な人間というものを想定し、それに欠けている部分を補うのが教育です。教育改革は、日本ではいつも新しいことをやることと政治家や官僚は考えていますが、これ自体が大きな間違いで、現在ある教育問題を根本的に解決することが教育改革になります。

そもそも子供は小さい頃から周りの大人を見て自分の中に大人の理想像を作ります。ですから、幼児の頃から周りの大人は理想的な人間として見えるように用事と接することが教育となります。思考力が発達し、自分で理性的判断ができるようになるまで、これはずっと続きます。思考力が発達するのは、思春期に入る頃からです。思考には、考えるための材料となる知識が必要です。ですから、思春期前までに多くの有意義な知識を入れることが大事です。

さて、小学校でのプログラミンはどういう大人を措定しているのでしょうか。そもそも学校の先生自体がプログラミングができないのに。もちろん小学校からの英語も外国人の先生を呼んで行えばよいというものではありません。他の先生が英語ができなければ、それが手本になってしまうのです。

教育に携わる先生というものは、上の学校に行くほど、いわば手当も高くなり、先生として難しい仕事と思うなら、それは大きな間違いで、一番大事な先生は幼児期から低学年の頃なのです。なぜなぜそれがそのままお自分が目指す大人像に結びつくからです。両親や家族もそうなります。幼児の話し方を聞けば、両親がどういう話し方をするかがわかるくらいです。

大人の理想像とは、決して聖人にすることではありません。子供の周りの大人は、手本にされてはまずいことをしないようにすることが大切です。例えば、嘘をつかない、約束を守る、いじめない、悪口を言わない、やらなければならないことはやる、などです。自分はできないが、子供にはそういう大人になってもらいたくない、などというのは期待しないほうがいいでしょう。反面教師などの悪い見本が有効なのは、やはり自分の判断ができるようになる思春期以降のことです。もし、自分には無理なことがあってもそれに向かって努力することが、子供には良い手本になります。
タグ:教育
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